当たり前のことだが、いやもしかしたら自分だけかもしれないが「努力する」より「逃げる」ことの方が圧倒的に楽なのだ。
例えそれが後になって痛い目に遭うとしてもその痛みをその時点でリアルに想像出来る訳では無いのだから。
当然、逃げることに対する罪悪感もかなりあるし、そんなことではこれからやっていけないことも頭では解っているのだがそれでもやっぱり逃げてしまう。
人間一度嵌ると簡単には抜けだせないということなのだろうか。
だからか過去を振り返ってみても逃げずに何かをやり遂げた記憶なんて出てこない。
「小学校の時にやっていた野球」も「中学校のときの部活である卓球」も「高校受験の勉強」も「高校の部活であるバドミントン」も「大学受験の勉強」でさえもまともにしてきたという実感は無い。
しかし勿論そんな状況を良しとしている訳ではは全く無くて、「中学」「高校」「大学」と環境が変わるたびに直そうとしてきたが上手くいかなかった。
趣味を絶って逃げ道を無くそうと思っても逃げ道なんて探せばいくらでもあってやはり上手くいかなかった。
しかしそれもそろそろ限界にきている。既に単位が足りなくて卒論着手が出来ないという状態だがこれ以上はもう後が無い。
ここに書いても大した意味は無さそうだがせめてこうして文章にして戒めにでもしようかと思う。
例えそれが後になって痛い目に遭うとしてもその痛みをその時点でリアルに想像出来る訳では無いのだから。
当然、逃げることに対する罪悪感もかなりあるし、そんなことではこれからやっていけないことも頭では解っているのだがそれでもやっぱり逃げてしまう。
人間一度嵌ると簡単には抜けだせないということなのだろうか。
だからか過去を振り返ってみても逃げずに何かをやり遂げた記憶なんて出てこない。
「小学校の時にやっていた野球」も「中学校のときの部活である卓球」も「高校受験の勉強」も「高校の部活であるバドミントン」も「大学受験の勉強」でさえもまともにしてきたという実感は無い。
しかし勿論そんな状況を良しとしている訳ではは全く無くて、「中学」「高校」「大学」と環境が変わるたびに直そうとしてきたが上手くいかなかった。
趣味を絶って逃げ道を無くそうと思っても逃げ道なんて探せばいくらでもあってやはり上手くいかなかった。
しかしそれもそろそろ限界にきている。既に単位が足りなくて卒論着手が出来ないという状態だがこれ以上はもう後が無い。
ここに書いても大した意味は無さそうだがせめてこうして文章にして戒めにでもしようかと思う。